【内田裕也伝説】若い頃の画像と曲や出演作を紹介。樹木希林とのエピソードも!

内田裕也ってすごいの?曲や映画、作品実績。樹木希林とのエピソードも紹介 トレンド・ニュース

内田裕也さんが3月17日、東京都内で死去しました。スポニチの報道はこちらです↓↓↓

 ロック歌手で映画俳優としても活躍した内田裕也(うちだ・ゆうや、本名内田雄也)さんが17日、東京都内の病院で死去した。79歳。兵庫県西宮市出身。所属事務所は18日に「内田裕也、2019年3月17日、5時33分、肺炎のため、永眠いたしました。ここ数年、闘病の日々でした」と正式発表し、「多くの友人知人、家族に支えられてRock’n’Roll人生を全うすることが出来ました」と報告した。内田さんは17年11月に脱水症状で倒れてから車椅子生活を余儀なくされていた。葬儀は近親者のみの家族葬で執り行い、後日お別れ会を執り行う。(引用:内田裕也さん死去 肺炎のため、後日お別れ会 所属事務所が正式発表「Rock’n’Roll人生を全う」

この悲報は朝日新聞、スポニチ、ハフポストをはじめ多数のメディアで紹介されています。

3月18日の朝の情報番組「スッキリ」には内田裕也さんの密着ドキュメンタリーなどに携わり、長年交流がある「崔 洋一監督」をゲストに、内田裕也さんの人柄や魅力も紹介されていました。

番組内で、多くの人が内田裕也の凄さ、魅力を知っているか、ということが取り上げられていました。

ここでは内田裕也さんの曲、映画などの作品や、樹木希林さんとのエピソードなども交え紹介します!

それではロケンロール!

若い頃の内田裕也

こちらは内田裕也さんのお孫さん、本木雅弘の息子さんであるモデルのUTAさんがインスタでアップしていた写真です。古い写真ですが、とてもおしゃれでかっこいいですね!

 

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転がる魂…… 忘れない。R.I.P #内田裕也 #yuyauchida

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内田裕也ってどんな人?音楽、映画作品は?

まずは内田裕也さんが残した功績や出来事はこちらの通りです。

  • 1939年
    兵庫県西宮市に生まれる
  • 1959年 
    日劇「ウェスタン・カーニバル」デビュー
  • 1966年
    ビートルズの前座を務める
  • 1973年
    「第1回ニューイヤーロックフェスティバル」を主催/女優・樹木希林さんと結婚
  • 1977年 
    大麻取締法違反容疑で逮捕
  • 1983年 
    銃刀法違反容疑で逮捕。映画「十階のモスキート」主演(崔洋一監督)
  • 1986年 
    映画「コミック雑誌なんかいらない!」(滝田洋二郎監督)
  • 1991年
    東京都知事選出馬
  • 2011年
    強要未遂と住居イン乳容疑で逮捕

 

内田裕也さんは兵庫県出身で、ロカビリーブームの中、1959年、日劇ウェスタンカーニバル(ロックフェス)でロック歌手としてデビュー。

1967年年にヨーロッパに渡り、海外のロックシーンを体験し、帰国後、音楽プロデューサーとしても活躍しました。そして1970年、世界に通用するロックバンドを意識し、「フラワー・トラベリン・バンド」などを手がけました。

フラワー・トラベリン・バンドは海外でもCMを発売し、カナダで成功を収めました。海外進出の先駆的な存在となりました。

そして73年からは「打倒NHK紅白歌合戦」として「ニューイヤーズ・ロック・フェスティバル」を開催しています。

70年代以降は役者としても活躍し、1983年には「十階のモスキート」では主演と脚本を担当しました。86年の映画「コミック雑誌なんかいらない!」では、キネマ旬報主演男優賞などを受賞、カンヌ国際映画祭で上映されています。

その後、91年には東京都知事選に出馬して話題を呼んだり、テレビなどにも出演。辛口コメントが話題で、芸能界の「ご意見番」としてお茶の間で親しまれていました。

内田裕也のすごさって?

内田裕也さんというと樹木希林さんとの別居などが取り立たされます。

あらためて功績を振り返ってそのすごさを語ると、まず「ロックの始祖」であることは間違いないでしょう。1960年代、まだロックが日本で定着しきれていない時にいち早くロックミュージシャンとしデビューしています。

前述したように所属していフラワートレベリンバンドは海外で成功した先駆的バンドでもあります。あのデビット・ボーイも彼らを高く評価していたそうです。

加藤茶さん、志村けんさんのバンド「ザ・ドリフターズ」にもカヴァーされていますね。

有名な逸話として、ビートルズの前座を務めた実績もあるようですね。

内田裕也の「人と人をつなぐ力」

「スッキリ」のゲストコメンテーターには、長年交流があった崔 洋一監督が来ておられました。

崔 洋一監督によると、内田裕也さんはプロデュース、コーディネートのスキルが卓越していたそうです。

ジュリーの愛称で知られる沢田研二さんを見出してデビューさせたり、突然夜中に崔 洋一監督に電話をかけて映画の話を持ちかけたり、スターの卵を見抜く、作品のきっかけをつくる=プロデュース力に長けていたそうです。

無名の力がある若手に注目していて、「コミック雑誌なんていらない!」で当時若手だった滝田洋一郎監督を引っ張り上げたり、いろいろなプロデュースを行ったそうです。

内田裕也の逸話・樹木希林さんとのエピソード

✅ 内田裕也さんと松田優作さんで酒場にいたら、いつの間にか誰もいなくなっていた。するどいナイフのような存在だった。

✅ 逮捕されて赤坂署にいたころ、刑事達から注がれる視線が違った。どこか歓迎されているような?来てくれたような?不思議な視線が集まっていた。

✅ 内田洋一さんが崔 洋一監督に”深夜2時”に電話をかけて一言「頭にきているから映画をやろう」

✅ 「スッキリMC」の加藤さんが某番組内で内田裕也さんについて語ったところ、それが気に食わなかった内田裕也さんが吉本興業に連絡。それを聞きつけた加藤さんは、間接的に内田さんに電話番号を伝えて話し合い。内田さんは「俺に電話番号を伝えるなんて気合い入ってるじゃねーか」と。(評価?)加藤さんは内田さんに気に入られた様子で、のちの番組で共演も果たす。

✅ 樹木希林さん「私には怖いものがない。死ぬことも怖くない。たった一つだけ怖いのは、主人の前にたつこと」

✅ お付き合いしていたスチュワーデスの方に復縁迫り脅迫文、不法侵入事件の際。女性の部屋の鍵を交換して、家の中で待っていた。

✅ 樹木希林さん「(逮捕時に)謝らないんですか?」内田裕也「いろいろよろしく」

✅ 樹木希林さんはプリベートでも「内田裕也」というフルネームで話しかける

✅ 内田裕也さんと樹木希林さんの別居生活は43年間

著名人の反応

まとめ

スッキリの放送内で、崔 洋一監督、加藤さん、樹木希林さん(録画)の話を聞いていて、本当に破天荒ではあるかが、尊敬され、愛されているなということ。

著名人の方々もコメント。恐れながらも、本当に尊敬、敬意、愛着を持たれた人だったんですね。

本当に純粋だった、作品に対して真摯だったようです。

今後は日本のロックの石杖を築いたことや映画作品の数々などにも注目が集まりそうですよね。

最後に、内田裕也さんのご冥福をお祈りいたします。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

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