進学校でも、会社でも…落ちこぼれだったけど、出世術を身につけた

雑記

どうも、ボンボンです。

父は大手金融会社の重役、母はピアニスト。世帯年収は2000万円で、自宅は200坪、別荘100坪を所有するまぁまぁお金持ちの家に育ちました。

このブログでは金持ちの子供として生きてきた証をいろいろ紹介します。

ボンボンの特徴、そこから得た成功体験、失敗などなど。

同じくボンボンのみなさんや、同じような性格に人々の仕事とプライベートがうまくいくように、いろいろと書き記していきます。

幼少期

父の仕事は大手金融会社。エリートビジネスマンとしての道を歩んでいた父は、地方勤務で着々と実績を積んでいきます。

山形、仙台などの東北地方中心に、各支店長を経験していきます。

当然、そこに家族として帯同するわけで、幼稚園は2箇所に通い、小学校も2度変わっています。

転校を繰り返すことで、コミュニティへの加わり方、の下地ができあがります。

転校はつらいものでしたが、新しい組織で、どうやったら仲間に入れてもらえるのか。そのスキルのベースがこの頃育まれます。

コミュニケーション能力は、この後の人生でも大いに役立ちます。

「世渡り上手」「愛されキャラ」。

そんな人柄へと成長していきます。

少年時代

小学校低学年で、なんとなく人心掌握術がわかっていました。「どうしたら、この人からよくしてもらえるのか」「どうしたら友達をつくれ、孤独にならないで済むか」。

無意識にそんなことばかり考える、計算高い子供だったように思います。

打算力という意味では、かなり優れた能力を有していました。

覚えていますか?遠足のバスの席決めや、学期初めの席替えを。

あぁいうときにまっさきに居場所を見つける能力がありました。

さらにまわりは「スポーツができる」「勉強ができる」友人ばかり。その輪の中心に立っていました。

難しい算数や理科の問題があったとしても、友人が助けてくれました。

遠くへ遊びに行く時は、アクティブで大人びた友人が、先を歩いてくれました。

ボンボンで甘えん坊な自分は従うだけ。「自分の頭で考えない」。

悪い意味でこの下地がこの頃出来上がってしまうのです。

【ボンボンエピソード】

習字、絵画、学習塾、プール、サッカー、公文式…etc 習い事は死ぬほどやりました。月謝は高いもので5万円くらいだったと思います。友達の影響で母親におねだりをして初めて、1週間でやめる、なんてざらでした。
ちなみに姉はバイオリンをやっていました。こちらは月に10万円くらいかかっていました。

 

中学・進学校時代

まわりをコントロールする力はあったと思います。

しかし、両親、特に父親をコントロールすることはできませんでした。

エリートサラリーマンですから、当然息子にも「エリートたれ!」「世間様に恥ずかしくない人であれ!」が教育方針です。

当然ですが、反発します。お金はありましたが、テレビやゲームはかなり厳しい制限がかかり、それで母親とはしょっちゅう喧嘩していました。

また、エリート志向の父とは、中学から高校(進学校)まで、ろくに口を聞いていなかったように思います。

高校は進学校でしたが、途中から勉強についていけず。このころはまだ「落ちこぼれ」をネタにしていました。

一方、母も、父も、よく自分の欠点を指摘してなじりましたが、もう僕は嫌悪感しかありませんでした。

【ボンボンエピソード】

進学塾はもちろん「お金はいくらでも出すから行って来い」状態でした。本当は、お金にいとめはつけないから慶応や立教のようにエスカレーター式で進学して欲しかったのだろうと思います。ちなみに姉は年間学費200万円かかる私立の音高に通っていました。当時姉が持っていたバイオリンは100万円でした。

 

大学時代

当時は音楽に夢中で、大学進学する気持ちがありませんでしたが、半ば強制的に進学することになりました。強烈なプレッシャーがありました。

しかし時すでに遅く、成績が落ちまくった状態で、高校3年冬から勉強をスタート。お金にものを言わせて、学習塾や冬期講習に金をつっこみまくりましたが、全て落ちました。

そして予備校で浪人することになります。

講習を含めて、年間で250万円ほどかかる、かなり高額な予備校に通いましたが、次の年もすべて落ちてしまいます。さらに200万円ほどをかけて二浪のはて、ようやく「普通のレベルの学校」に入学します。

両親としてはこの時点であきらめていたらしく、安心した、というところです。

【ボンボンエピソード】

アルバイトは少しだけやっていましたが、ほとんどは母親からのお小遣いで生きていたと思います。車の運転免許は全額出してもらいました。また就活のころ、昔「作文」が得意だったことを思い出し、ライティングの学校に通います。15万円ほど。もちろん余裕で出してもらっています。

 

社会人

2浪してしまったたため、大学はなんとかストレートで卒業しました。

両親から個性や能力を褒められることも少なく育った自分でしたが、なぜか得意だった「作文」を思い出し、広告・出版の業界へと足を踏み入れます。

ここから培ってきたボンボンスキルが多分に発揮されることになります。いい面もありましたが、悪い面も非常に多かった。

これまでのように、誰かが助けてくれる

やりたいことがあると親がお金をだしてくれたように。

数学の時間に友人が答えを教えてくれたように。

遊びに出かける時リードしてくれたように。

誰かが助けてくれるという認識がいつでもありました。

そして社会人になると「親」「友人」が「先輩」「上司」に変わります。

これだけ聞くと社会人になって痛い目を見る、と思いそうですが、違いました。新卒で初めて入社した会社の上司がとても親切な人で、みごとに自分を助けてくれるのです。

ちょっと難しい仕事があると、「とりあえず貸してみ」といってほとんどすべてをやってくれるのです。フィニッシュの部分だけ、自分に渡されます。

いちお、最後に仕事をして、体裁を整えて仕事が完了するので、自分も、周りも、「仕事ができている」と勘違いをします。

あいさつ、名刺の渡し方、メールチェックなど、ほんとうに基本的ですぐにできることは身につきましたが、段取り、質問力、ロジカルシンキングなど、習得に時間がかかることはまったくできていない状態でした。

【ボンボンエピソード】

新卒での初任給は30万ちょいでした。正直、まわりの友人よりもだいぶ高額をもらっていました。ただ、私服の仕事だったので、とにかく洋服を買いまくります。また、洋服好きが講じて、都心のおしゃれタウンで一人暮らしを始めます。一人暮らしを始める時は親から50万円ほどもらいました。

ノンスキル、ノン人脈、ノンキャリアに打ちひしがれる

ここまで買いてきたように、金銭的には両親に支えられ、仕事的には上司や先輩に助けられてきました。

で、結局履歴書で誇れるようなスキルは一切得られませんでした。

正直、2、3年くらい打ちひしがれてしまい、一時期はうつ病になりかけの診断を言い渡されたこともあります。

しかし、ある時から少しずつですが、このストレスや劣等感から解放されていきます。(今もまだ途中ですが)

現在 プロの世渡り上手に

自分の能力には自信がもてません。それで、ずっと「どうやったら助けてもらえるか」「ふたたび助けてもらうにはどうするか」を考えて生きてきました。

不謹慎ですが周りをコントロールして、フォローしてもらう術を学びました。

この「助けられる」能力に、幼きころ、転校を繰り返す中で培ったコミュニティに溶け込む能力=コミュニケーション能力があわさったわけです。

正直言って世渡り上手です。ボンボンの甘ったれとして生きてきて、ハングリー精神もないまま、成長もしきれてはいませんが、人と関わり仲間を増やす。心強い見方を増やすノウハウは人一倍あると思います。

このブログで伝えたいことは..

・くっそ甘ったれで世の中を舐め腐っていたボンボンが、いろいろな痛い目を見えて学んだ、回避術。

・人に親近感を持ってもらうためのコミュニケーション術

・転職で使える!信頼できるメンターを探す方法

・仕事や人間関係のストレスから解放される方法

などなどお届けしていきます。今まさに迷っている、悩んでいる人のために書きます。一人でも多くの人の、心の負担を軽くして、仕事やプライベートライフを健やかに過ごしてもらうようがんばってかきます。